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赤穂義人録補正:明治5年 乾坤2冊 和装本 赤穂四十七士伝:嘉永 上下2冊
赤穂義人録(あこうぎじんろく)とは、元禄14年(1701年)に発生した赤穂事件を称揚する立場から書かれた室鳩巣による漢文体の歴史書。全2巻1冊
青山佩弦斎
あおやまはいげんさい
(1807―1871)
江戸後期の歴史学者、水戸藩士。名は延光(のぶみつ)、字(あざな)は伯卿(はくけい)、通称は量太郎。佩弦斎また晩翠(ばんすい)と号した。拙斎(せっさい)の長子として水戸城下に生まれ、弓術に優れる。1830年(天保1)『大日本史』編修局彰考館の総裁代役、1840年水戸の藩校弘道館(こうどうかん)の教授となる。1843年弘道館教授頭取(総教)となり、350石を給せられる。藩主を追われた徳川斉昭(とくがわなりあき)の雪冤(せつえん)に関係して一時罷免されたが、許されてのちは、1846年(弘化3)国史編修頭取として『大日本史』の本紀・列伝の出版に尽力。1852年(嘉永5)ふたたび弘道館教授頭取となったが、維新後明治政府に出仕、東京で没した。墓は水戸藩士の常磐原(ときわばら)共有墓地(水戸市末広町)にある。主著に『国史紀事本末』(正続)、『赤穂(あこう)四十七士伝』『佩弦斎集』などがある。[
お探しの方、お好きな 方いかがでしょうか。
中古品ですので傷・黄ばみ・破れ・折れ等経年の汚れはあります。表紙傷、小汚れ、しみ、小破れ。ページ黄ばみ、しみ。江戸から明治期ですので全体的に経年感はあります。もちろん読む分には問題ありません。404443
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