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呪術とその背景  仁田丸久

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管理番号 新品 :58734200723
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メーカー 68b956639 発売日 2025-04-23 15:08 定価 52800円
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呪術とその背景  仁田丸久

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箱に少し汚れありますが、本体は良い状態です。古書であることはご理解ください。
本書は、故仁田丸久氏が昭和30年11月から昭和48年5月迄行なった617話という膨大な講義記録からの抜粋である。その意味で「著」ではなく「講述」となっていることにまずご注意いただきたい。
 仁田氏の講義は、昭和30年から昭和32年迄の「周易裏街道」、昭和37年の「周易わかれ道」、昭和39年から昭和42年迄の「星占セミナー」、昭和42年から昭和47年迄の「うらおもて周易作法」、昭和44年の「水晶球凝視秘伝」、昭和45年の「幽数秘策」、昭和47年から昭和48年迄の「玄秘求深」、遺稿となった昭和48年5月の「源氏物語と古星占秘策」と、十八年半もの長きにわたって行なわれており、和文タイプの講義プリントは延べ232冊にも及ぶという大著である。
 本書は、氏の講義録の中より、表題の如く、「呪術」に関するもののみを拾い上げて、アイウエオ順に編集し直して昭和49年に発行されたものの復刻である。
 仁田丸久氏の令名は、まず何といっても日本の易占界に高い、ただ亡くなられたのが昭和48年ということで、すでに四半世紀も過ぎ、氏を直接知る人も少なくなっている。
 しかし逆に占術界にあっては、氏の名前は伝説的な人物として語り継がれているといってよいであろう。
 東にあっては亡き加藤大岳師の「易学研究」、西にあってはこれも亡き紀藤元之介師の「実占研究」を通じて、氏の玄妙なる筆になるエッセイを読まれた斯界の読者が多いことと思う。
「講義録」とはいえ、一般に市販されることがなかったため、市場に講義録が出回ることは殆どなく、その意味もあって氏の名前と実像は「伝説」のオーラを帯びることとなったといえる。
 筆者自身は、といえば、加藤師の高弟T氏より●仁田丸久氏●の名をその講義中に耳にし、しっかりとインプットしたものであった。その折り、氏の名はペンネームであり、本名をもじったアナグラムであることをも聞いたのである。そのT氏も今は亡く、時の流れを感ずる次第である。
 仁田氏は明治33年に生まれ、昭和48年に74歳で亡くなられた。長らく商社に勤務され、国際的取り引きに従事されたことが講義の端々からうかがえる。
 862頁から883頁迄掲載されている「追想」を拝見すれば、既に小学生の時に新聞社での人相の先生の講義を聞きに行ったとのことであるから、まさに「栴壇は双葉より芳し」である。
「術」はそれを使う人間の品性と切り離せない。「追想」にもあるように、家庭的にさまざまな苦労をされた氏であるからこそ、人間を幸福にすべき「術」を語るにふさわしいと思われてならない。
 氏が生涯かけて取り組まれた「呪術」とはそもそも何であろうか?
 小学館の「日本国語大辞典 第二版」の「呪術」の項を引くと、「超自然的な力を直接的方法で呼び起し、望んでいる現象を起させようとする行為。『まじない』と『うらない』とがあり、」とある。
「うらない」を「呪術」に含めるこの定義にはいささか疑問がない訳ではないが、逆にいえば、「まじない」と「うらない」の両者に通じた氏にはピッタリの定義かも知れない。
「呪術」にも二通りある。分り易くいえば「黒魔術」と「白魔術」であり、言う迄もなく前者は、人の不幸を願って行うものであり、後者は人の幸福のために成されるものである。
 生々発展の道を歩むべき人間のために「呪術」が本来存在している筈であるが、「術」を扱う人間の品性が低い場合、「白」は容易に「黒」に転化してしまうことがあることに留意すべきである。
 自らの品性の低さを人様にお話するのは何ともお恥ずかしい次第であるが、分り易いと思うので、一つのエピソードを紹介してみたい。
 もう十年も前のことである。真夜中に電話が鳴った。実家は東京にあるので、何かあったか、と思って受話器をとったものの、ウンでもスンでもない。向うは黙ったままである。これはイタズラ電話か、と思ったものの、その時はいつにも増して疲れていたせいか真夜中に起されたことに対し正直頭に来て、「こういう奴はどうやって呪ってやろうか?」と思った瞬間、それこそ一秒二秒もたたないうちに、自分の心臓が苦しくなったのには本当にビックリした。 
 恐らく「呪ってやろう」というこちらの念が電話の向うに伝わり、それがブーメランの如くまた念を発した自分に戻ってきた、と考えてよいであろう。どこの誰だか知らないが、イタズラ電話をかけてきた人はビックリしたであろう、おそらく電話の相手も心臓が苦しくなった筈である。
 しかしこの時自らの体で悟ったのは、「人を呪わば穴二つ」という古諺が本当である、ということである。いくら相手がどんなに悪くても呪ってはいけない、ということをこの諺は教えている。
 本書に紹介されているいろいろな「術」は、さまざまな苦しみにあえいでいる人間の幸福のために、人間界に伝えられたモノと考えるべきであって、間違っても他人を不幸に陥れるために使われてはならないことを銘記すべきである。
 本書の512頁で仁田氏は語っている、術の「正邪を分つ根拠は、古神道の弥栄に貢献するか否かにあります。どんな清らかなことをしても、自分の欲望のためや他人を陥れるためにすれば、邪法です。その証拠に、対手をやっつけようと思って霊術を使いますと、それは利くには利くのですが、その何倍かのはね返りを受けます。これはホントです。だから私も人間ですから、むかついたとき、コン畜生と思って相手をやっつけたい気持の起ることもありますが、私はグットこらえてやらぬことにしています。」
「これはホントです。」といわれた仁田氏の言葉の重みを本書の読者は噛み締めなければならない。仁田氏がいわれるからには、「ホント」なのである。
 疑う人は、小生のように自ら痛みを体験されたらよろしい。時には、「イヤ、俺は自分で体験しなければ、何も信じないタチだから、仁田がそう言ったからとて、ハイ、そうですか、と信ずる訳にはいかない。」とおっしゃる豪傑もいらっしゃるかもしれない。
 その方には、ご自分で責任をとる覚悟がおありならどうぞご勝手に、と言うしかない。
 仁田氏が関わったこの世界では、目に見える現実以上に、厳しい法則が存在していることを、いづれ身をもって体験されるであろう、としか言いようがない。
 さて、仁田氏その人について語らねばならない。
 やはり「小学生のとき、英語が習いたくて荒物屋の二階に若夫婦が住んでいて英語を教えてくれるというので習いに行った。」(863頁)とのことであるから、氏の英語力には年期が入っている。氏が商社に勤めるにあたっては、この英語力がものをいったであろうし、またそれをいかして占術・呪術関係の洋書あさりが、氏の「学」と「術」に深みを与えているといってよい。
 516頁に文献としてあがっている「十六~十九世紀古文書『妖魔学』『自然の神秘』『魔法的星占師』」等にも目を通しているフシがある。
 人相学で一家をなし、仁田氏とも親交を結んだ八木喜三郎氏は、氏が亡くなられてスグの5月12日の追悼会の席上、次のように述懐している。
「仁田先生は非常に博学の方で何でも知っておられましたし、また一度読まれた本は決して忘れることのない方です。非常に記憶力の優れた方でした。私は逆に記憶力が弱く、今読んだ本を置いて次のことをしますと、もう先の本のことはすぐ忘れてしまうので、実に仁田先生をうらやましいと思いました。」(「源氏物語と古星占秘策」、120頁)
 実に八木氏の申される通りの人であったろう、と生前仁田氏にお会いするチャンスのなかった筆者は思うものである。
 筆者が初めて仁田氏の「周易裏街道」を手にした時の興奮というものを、いまだもって忘れることができない。
 二〇年近くも前に神田の占い専門の古書店で「周易裏街道」を手にとって二、三枚も頁をめくらないうちに、この本の持つ価値を実感したものである。
 あまりの高額に一瞬ひるんだものの、古本というものは出会った時が勝負、また今度と思ったら、その今度は永久に来ないもの、と思わなければいけない、というのが、長年の古本屋街通いから身に染み付いた智恵であって、恥ずかしながら、近くの銀行に駈け込んでカード・ローンで「周易裏街道」を購入した次第である。
 どなたかが、「周易裏街道」を評して天下の奇書と呼ばれたとのことであるが、まさにその名に恥じない。
 ただ物を知っているというだけなら、世の中いくらでも、失礼ながら掃いて捨てる程いるかもしれないが、氏程その学の深さをうかがわせる人は少ないといって間違いない、と思うものである。
 その「学」の深さも、ただ深いというだけなら、そこらの大学教授の中にゴロゴロいるかもしれないが、氏の凄さには何といっても「術」の裏付けがあるからである。
「野に遺賢あり」とは氏のためにあるようなものである。
「周易裏街道」の講義は昭和30年に始まる。敗戦後わずかに一〇年。この頃の日本の知的風土といえば、まだまだ食うのが精一杯といっても間違いなかったであろう。
 その中にあって、氏は、「深層心理学」を例にとれば、フロイト・ユング・アードラー・ソンディ等の書物に親しみ、自家薬籠中の物としている。フロイトは戦前からいくつか訳はあったとしても、ユング・ソンディが知られるのは講義よりはるかに後のことである。
 得意の英語力でそれらの著作を次々にものにしていったことと思われる。
 熱心なクリスチャンであった氏の蘊蓄の基本を形作っているのは、旧約・新約聖書である。
 それに単なる信仰の書としてだけでなく氏は「霊術の書」として新たな光を当てる。
 そのような眼を養う上で氏に最も影響を与えたのは、古神道「天行居」を主宰した友清歓真であろう。
 仁田氏の著作のあちこちに見受けられる神法道術を語るとすれば、友清歓真を抜きには考えられない。戦前「大本教」内部で広報活動の一端を担った友清についてここで語るには紙数がないので、関心のある方は全集等の著作についてみられたい。
 筆者の見る所、友清の有していた霊術の精神の核となるものは、確かに仁田氏に引き継がれた感がある。
「易」について友清はしばらく思いを潜めていた時期があると聞くが、「易」については仁田氏の「周易裏街道」に極まる、といってよいのではないだろうか?
 既に本書を読まれた方はお分りと思うが、氏の蘊蓄には、恐れ入る他はない。
 前述した深層心理学・聖書・神法道術などは序の口に過ぎない。
 アトランティスやムーに始まる超古代史・エジプトに代表される古代史等の西洋の歴史だけではない。
 日本の超古代史・古代史にも筆は及ぶ。「古事記」・「日本書紀」については当然それらの原文だけではなく、本居宣長の浩瀚な「古事記伝」にも目を通されている。といった具合である。
 若い時、霊能を求めていろいろ本をあさり、人にも教えを乞うて騙されることもあったと語る氏であるからこそ、その眼光は紙背に徹し、本居翁の未解の部分にも正解を与えている、ということは何といってもスゴイ。
 近年こそ人の口にのぼるようになったエドガー・ケイシーにも早くから仁田氏は注目されていた。
 その関係でいえば超心理学・心霊科学への目配りは当然のことであって今更記す迄もないことであろう。
 筆者が仁田氏にどうにもかなわない、と帽子を脱ぐのは、氏の日本の伝統文化と芸能に関する蘊蓄である。能・歌舞伎・落語等のいわば日本的なるものの中に、「呪術とその影」を見出す、その眼力の強さというものには、何とも圧倒されっ放しという他はない。
 伝統文化の中でも、いわゆる古典に関する素養も、明治生まれだからという訳のものでもないであろう。
 とりわけ日本文学の古典中の古典ともいうべき『源氏物語』を「霊術の書」とよんだのは、氏が初めてではなかろうか?
「霊術の書」としての『源氏物語』について語ろうとした矢先に、氏が急に亡くなられたということは、或いは、語ってはいけない、という意味での口封じであったのであろうか?と思うと身震いを感じずにはいられない。
「ウラナイ」としての「易」を論ずるにあたって、氏は語る、「一生を費やして『易』の本当の意味を知ろうとしてきた。」と。
 氏の講述は、その言を裏切らない。こんな注釈書迄読んでいるのか、と思う程、清代の易学書にも目を通されているのである。
 長年の講述のうちから、呪術に関するエッセンスを抜き出した本書は、仁田氏の生涯をかけた本当の意味での血と汗がにじんでいる。この世界に馴染みの少ない人の中には、或いは途中で読み過ごす一節があるやもしれないが、ほんの数行にも仁田氏の「マジナイ」と「ウラナイ」に取り組んだ一生が投影されていると思うべきである。
 このような形で氏の研究の成果を手に入れられる我々は、幸せであると共に、氏の学恩に報いるべく、本書に記されている「呪術」を、自分のため、人のため生かすべく努めなければならないと思う。
それが亡き仁田氏に報いる道であると心から思う次第である。

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